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in the keywords:  Nikolay Nevskiy
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JA
本論文ではロシアの東洋研究者であり、1915年から29年まで日本で過ごし、日本固有の信仰や、アイヌ、琉球、台湾の先住民であるツォウ族、滅びた西夏王朝のタングートの文字などの研究に身を捧げたニコライ・ネフスキー(1892-1937)の業績を紹介する。特にここでは、琉球諸島/沖縄県の南の遥か離れた太平洋に浮かぶ宮古島の言語の研究に焦点を当てる。 ネフスキーはちょうど大正と昭和にまたがった1922年から28年までの間に最も活動的に宮古語の研究を行った。ネフスキーが「民族言語学(ethnolinguistics)」という1920年にマリノフスキによって提唱された造語を知っていたかどうかは議論の余地がある(デュランティ 1997: 2)。また、ネフスキーが言語人類学のパイオニアであるフランツ・ボアズの直接的影響下にあるということも、サピア=ウォーフの研究がネフスキーの宮古語の研究と並行して行われていたことからも疑わしい。しかしながら、ネフスキーの宮古語研究のアプローチは民族言語学/文化人類言語学(anthropolinguistic)の前提と多くの共通項を持つと論じることはできる。ネフスキーの方法論の中核には、ネフスキーの師であるレフ・シュテルンベルクによって提唱され、民族学的研究の中の言語学的研究の不可避性を訴えた「民族学的言語学(ethnographic linguistics)」が横たわっている(ネフスキー 1998:359)。 そして、ネフスキーの宮古語-日本語-ロシア語の辞書の草稿(ネフスキー2013)を調べてみると、確かに、任意の語彙の形態や文法的形態素に関心を抱くというよりもむしろ、ネフスキーは言語学的データをより大きな全体像の一部、つまり宮古の伝統や精神の中に織り込まれたものとしてアプローチしていることに気づく。自然な日常会話、歌、物語、諺やなぞなぞなど様々な例を見出し語として加えたのである。この多くの見出し語自体が、宮古の文化領域との強い結びつきを示しており、それらはどちらかのメタ言語での単なる対応語よりもメタ言語による記述的な説明を与えることが容易だったであろう。彼はまた様々な資料提供者と協力しており、その中で名前を知られている幾人かは宮古の知識人たちで、彼らの言語に対する洞察はネフスキーの仕事に貢献した。その一方、言語の研究に直接関係していないネフスキーの宮古に関する論文、例えば民間伝承、民族衣装、民間信仰などに関心を寄せたものは、言語学的な裏付けをしばしば紹介し、宮古語特有の表現の意味やそれらが表す概念に重きを置いた。 上記に述べたように、日本の島々の言語の先駆的研究−そのアプローチと目標はおそらく現代の言語人類学の方法とそれほど遠くないと言えるだろう−がいかに行われたかという注目に値する過程を描き出すことができるだろう。
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